3月29日、関西大学で第7回日本ラグビー学会が開催された。ラグビーに関するさまざまな研究発表がなされる学会だが、芦屋高校の髙木應光先生の特別講演「コーチング再考 忘れられたラグビーの原点」が、理路整然とラグビーの歴史が語られており、多くのラグビー関係者やファンに聞いてもらいたいものだった。要点をご紹介したい。
髙木先生は神戸の歴史研究家であり、スポーツ史に造詣が深く、ラグビーをこよなく愛している。ラグビー選手による不祥事が起こるたび心を痛めていた。そこで「再考」である。まずは、ラグビーの原点となる農村の原始的フットボールを紹介。何百人もが参加してボールを手で奪い合い、時には川に飛び込んでボールを運んでいく映像が映し出された。18世紀の産業革命のなかで農村の過疎化が進み、お祭りのフットボールがパブリックスクール(日本でいえば中高一貫で、エリートを教育する寄宿舎制の私立学校)の中に移行していく解説も分かりやすかった。
パブリックスクールでは、スポーツ教育の価値が発見され、深められていく。身体をぶつけ合う真剣勝負のなかでの振る舞いが、ジェントルマンシップを育んでいくということだ。ラグビーが紳士のスポーツと言われるのは、ジェントルマンを育む要素にあふれているからであり、ただラグビーをすれば紳士になるわけではない。それを理解したうえで指導者が選手に接していかなくてはいけない。髙木先生は、コーチがすべきこととして5つのポイントで説明した。
1フェア(卑怯なことをしない)、2誠実(相手へのリスペクト)、3勇気(正義を貫く)、4協力(リーダーとフォロワーの役割分担)、5ノーサイド(アフターマッチファンクションを大切にする。人脈こそ宝)。そして最後に、「コーチは選手にラグビーをしていたことを自慢できる体験をさせることが大事だ」と強調されていた。
講演の中では、ラグビー発祥に関する誤解についても触れられた。「ラグビーがサッカーから生まれた」という広く語られる誤解のことだ。このコラムでも過去に触れたし、僕もいろんな場所で何度も書いてきたが、ラグビー関係者ですら未だに間違っている人が多い。
ラグビー発祥エピソードとされる「エリス少年のルール破り」は1823年の出来事だ。「エリス少年が、ラグビー校で行われていたフットボールの最中にルールを破り、ボールを持って走った」とうエピソードの中の「フットボール」は、この学校独自の手も足も使えるルールだった。ボールを手で持って走ることが禁じられていたのである。この「フットボール」を「サッカー」と訳す人がいたので間違いが広がったのだが、髙木先生によれば、サッカーというアソシエーションフットボールの略称がイギリスの新聞に登場するのは、1891年のことである。
移動手段の発達していない当時は、各学校が独自のルールでゲームを楽しんでおり、鉄道網の発達によって学校間の試合が増え、統一ルールが必要になった。このとき、ボールを足で扱う派と、手も使える派が分裂したのである。1863年、フットボール・アソシエーション設立。ラグビーユニオンは、1871年に設立された。
原始的フットボールの流れを汲み、現存するフットボールは7つある。ラグビーフットボール、ラグビーリーグ(13人制ラグビー)、アメリカンフットボール、カナディアンフットボール、オーストラリアンフットボール、ゲーリックフットボール、アソシエーションフットボール(サッカー)。先に書いた5つは、ボールは楕円形で、手も足も使える。アイルランドで盛んなゲーリックフットボールは、手も足も使えるがボールは丸い。足しか使えないのは、アソシエーションフットボール(サッカー)だけなのである。
髙木先生はこうも言っていた。「ボールを完全な球体にし、蹴って飛ぶようにするには、ゴムチューブが必要で、かなり工業化が進まなければできないことです」。なぜラグビーのボールは楕円なのかと、問いかけられることがあるが、昔は丸いボールを作る方が難しかったという事情もあるのだ。
最後に、大好きなエピソードを書いておきたい。このホームページを運営する日本ラグビー界きっての老舗セプターにまつわることだ。セプターはサッカーのボールも作っている。実は東京オリンピック(1964年)の公式球には、セプターのサッカーボールが採用された。なぜ、そうなったのか。世界の複数メーカーのサッカーボールを転がしてみると、セプターのボールが一番長く、まっすぐ転がったからなのだ。バランスの良い丸いボールを作るのは難しいのである。そんなセプターのホームページにコラムを持ち、今回はラグビーの歴史について書くことができた。幸せである。