BLOG 楕円紀行

About Koichi Murakami

ラグビー人よ、誇りを持て

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3月23日、関西大学の千里山キャンパスで、日本ラグビー学会の第6回大会が開催された。全国のラグビー研究者が集ったのだが、その中の研究発表のひとつに、「なぜ選択ルールが生れたのか――最古のフットボール・ルールから考える」というものがあった。元芦屋高校の教諭であり、神戸居留地研究会の髙木應光さんの発表である。スポーツ史の研究家でもある髙木さんは、ラグビー独特の「選択ルール」に着目した。たとえば、相手チームの反則があって、ペナルティキックが与えられたとき、与えられたチームは、直接ゴールを狙うか、そのまま攻めるか、スクラムか、などの選択ができる。こうした選択ルールは数多く、これは、ラグビー以外の種目では見られないものだ。なぜ、そうなったのか。
髙木さんによれば、現在、「フットボール」と名のつく競技は、世界に7つ存在する。サッカー、アメリカン、カナディアン、オーストラリアン、ゲーリック、ラグビーのユニオンとリーグだ。日本で一般的なのは、ラグビーユニオン。リーグは、オーストラリア、北部イングランドで盛んな13人制ラグビー。ゲーリックはアイルランドで盛んに行われている。この中で、最初にルールを成文化したのは、ラグビーである。
1845年に作られた最古のルールブックには、すでに「選択ルール」が記してある。ラグビー発祥の地、パブリックスクールのラグビー校で行われたフットボール(サッカー、ラグビーに枝分かれする前の原始的競技。手も使ってボールを扱えた)では、楡の並木をタッチラインとしていた。そのため、次のようなルールがあった。「木に当たった場合、木のどちら側からでもドロップキックを行ってよい」。髙木さんは、こうしたグラウンド環境、そして、思想家アダム・スミスの自由主義などの影響、当時、台頭したブルジョワ

ジーを真のジェントルマンを養成しようとした教育環境、ラグビー校のトーマス・アーノルド校長が生徒の自治を認めたことなどの理由をあげ、選択ルールが生まれた背景を説明した。
これは興味深い指摘だった。時代背景もさることながら、結果として、選択ルールによって、極限状態のなかで的確な判断が要求され、リーダーを育てるのに大いに役立っているからである。もうひとつ、髙木さんが強調したのは、1845年のルールの前にある決議文のことだ。そこにはアーノルド校長と生徒の約束事が記されている。いくつか紹介すると、「試合の予定は、学校長が当日の昼食までに適切な方法で通知しなければならない」、「疲労との言い訳やゲームへの参加免除のためにメモを渡す制度が乱用されないために、校医や寮長または先生のサインのないメモは受け取らないようにすべきである」、「ラグビー校OBがフットボールの試合に参加するには、両チームの主将の同意が必要である」などなど。生徒の自治と規律を守ろうとする意図がくみ取れるのだ。
そして、髙木さんは、「ちょっと言い過ぎかもしれませんが」と前置きしたうえで、近代スポーツのスタートはラグビー校であり、アーノルドがスポーツを奨励したことが日本の学校スポーツにつながっている、いま、学校でスポーツができているのは、ラグビー校のおかげだと思っていいのではないかと話した。こうした歴史的背景を持つラグビーに関わっていることを、日本のラグビー関係者は誇りとすべきだというのである。我々大人はラグビーの文化を子供たちに語り継いでいかなくてはいけない。フェアプレーの精神、レフリーの尊重、試合後に敵味方関係なく交流するアフターマッチファンクションの奨励など、伝えなければいけないことは、たくさんある。襟を正して語りつぎ、実践していきたいものである。