日本代表は、パシフィック・ネーションズカップ(PNC)で、フィジー、トンガとの試合を終え、なんとかトンガに勝利。6月9日には、アウェイでオーストラリアA代表戦が残されているが、日本での2試合、サモア戦(6月16日 仙台 ユアテックスタジアム)、ジュニア・オールブラックス戦(6月24日 東京・秩父宮ラグビー場)に期待が高まっている。
今回書きたいのは、5月初旬に来日したクラシック・オールブラックス戦で感じたことである。クラシックとかジュニアとか、ラグビーのNZ代表の愛称であるオールブラックスにはいろんな種類があるので、ややこしいと思うが、クラシックは、オールブラックスOBチーム、ジュニアは、NZ・A代表。ラグビーのA代表は、正代表の次に位置するチームで代表予備軍である。ちなみに1968年に日本代表が歴史的勝利を飾ったオールブラックス・ジュニアは、23歳以下NZ代表で今は編成されておらす、現在のジュニアとは違うが、A代表が伝統ある「ジュニア」の称号を引き継いでいる。
来日したクラシック・オールブラックス(CAB)は、代表OBとはいえ、ほとんどがイングランドやフランスなどのクラブでプレーを続ける現役でスーパースター揃いだった。なかでも話題をさらったのが、ジョナ・ロムーである。ロムーは、19歳でNZ代表になり、196㎝、119㎏のサイズで100mを10秒台で駆け抜けた怪物ウイング。1995年、99年のW杯でも活躍したが、その後、腎機能の障害に苦しみ、2004年に移植手術を受け、奇跡的な復活をした選手だ。ただし、全盛時代に比べればスピードも落ち、代表レベルでの活躍は難しい。
そのロムーが、先輩オールブラックスの英雄であり、現日本代表ヘッドコーチ、ジョン・カーワン(JK)の依頼を引き受け、CABの一員として来日した。プロモーションのために先だって来日したロムーは、日本の報道陣にこう語った。「オールブラックスに選ばれたものとして、そしてプレーヤーの義務として、ラグビーを広げる活動をするために参加することにしました」。JKは、次のように言っている。「一度でもオールブラックスのジャージーを着た者は、生きている限り、オールブラックスであり続ける」。ラグビー王国NZでは、オールブラックスは国民的英雄であり、人々の尊敬を集める。その称号を得た者には、それ相応の義務がともなうのである。
記者会見でロムーの言葉を聞いて感心はしたが、フィットネスレベルも落ちているだろうし、ジャパンXV(フィフティーン)との試合は顔見せ程度だろうと思っていた。ところが、それはまったく失礼な思いこみだった。5月9日の神戸での試合こそ足を痛めて早々の退場となったが、12日の第2戦(秩父宮)では、痛い足をものともせず、ロムーは走り続けた。前半、ロームの独走をジャパンのWTB北川が止めたシーンがあった。数日後に、NZの友人からメールが届いた。試合の様子はNZでも放送されていたのだ。
「追いつかれちゃったね」。衰えたロムーに対する少し悲しげなメールだった。大半のラグビーファンにそう思われてしまうのを承知でロムーは必死の形相で走った。身体も重そうで、走る姿もカッコ良くはなかった。でも、心に響いた。試合に出たからには、常に勝利を目指してベストを尽くす。彼の言葉にウソはなかった。
選ばれた者としての義務を果たす、そして人間としての誇りを失わないということは、こういうことなんだろう。ありがとう、ロムー。